空’s diary

大学3年生。徒然なるままに。

「正しく」自分を知ることの大切さ

「正しく」自分を知ることの大切さ。

まあ、4月から大学3年生になるということもあり、今後の自分の人生についてそろそろちゃんと向き合おうと思う今日この頃。

今の私は院に進むか、就職するか、はたまたほかの選択肢があるのか、考えることが増えた。でも自分のこれからの人生について考えるのって楽しいねと思う。

でも、楽しいと同時に、漠然とした不安を感じることもある。

どういう点でかというと、自分の人生が無限に対して開いていて、決まった既定の進路がないから、自分がどこに向かって強く歩んでいったらいいのか分からなくなることがあるっていう点。

これって、現代という時代に生きていれば多くの人が感じたことのある感情なんじゃないのかな。つまり、「自分が何者なのか」という答えのない問いだ。

私は今となっては、この問いは問うこと自体が不可能な問いだと思っている。
なぜかって?それは「確実に解のない問い」だと分かったから。
この問いは、禅問答で使用される分にはいいけど、実際に解が存在しようがないのだから、問う必要すらない。こう言うのは、私自身が問うことをあきらめたからでも、問うてる人を馬鹿にするためでもない。高校生のころからずっと問うて悩んだ結果、問うことが論理的にナンセンスで不可能だという結論に自分で至ったからだ。

かつて高校生のころは、この問いに振り回されて悩んだ。存分にね(笑)
悩んだ時期はつらかったけど、あの時間が無駄だったとは思わない。なぜならその時期がなければ、今の自分の考えの境地には至れなかったと思うから。

今はもうそこの峠は越えて、この問いを問うて自分探しの旅に出るくらいだったら、「この現実世界のどこに自分を位置付けていくか」という現実的で新たな問いを考える方向のほうが大事と思うのである。

ただ、この新たな問いを引き受けることは、自分で自分の人生に任意に地図を描くことを意味する。それは、自由でありワクワクすることでもあるが、でも自分自身と、自分に関わる他人に対する責任も伴うし、社会と自分との衝突のはざまで自分の思う通りに行かないことに面したときのつらさに悩む可能性も含んでいる。

そう、自由って、お花畑ではないからね~

 

題名につけたように「正しく」自分を知ることってすごく難しいと思う。
ただでさえ、多様な価値観があふれる世の中に生きていて、簡単にSNSを通じて他人の人生を知り得て、つまり自分がそれでいこうと思った「人生」と別の「人生」の可能性もたくさん提示されている中で、たった一回の人生で自分の生きていく方向を自分で選択していかないといけないって。

でも私はそんな人生ってすごく魅力的で刺激的でいいと思うわけ。

自分の価値観とか意志を忘れずにいることと、自分にとって大切な人間関係との良い関係を大切にすることと、時には偶然性に身をゆだねること。

上のことを、自分で受け入れていくことが、良く生きるってことなんじゃないかと最近思う。受け入れ方はライフステージによって変わるだろうけど。


高校生のころは、自分の力だけで生きていけると思ってたし(若気の至りやね笑)、自分にとって大切な人間関係も含めた人生設計の重要性なんて考えてなかった。でも大学に入っていろんな人と関わる中で、いかに良い人間関係が自分にとってプラスなのか実感したし、世の中自分の思うとおりには動かないことも知った。だからある程度社会の側を知って、自分をより生かせる場所で自分を実現することが大切なんだということに気づいた(笑) だから「社会を知る」って、よく生きていくためには必須だと思う。


よく自分のやりたいことと自分が向いていることは違うって言う人いるけど、たしかになって思う。ここの差を埋めることが幸せにつながるんだろうなと思うが、すぐにそんな天職みたいな職に就けるとも思ってない。そんな素敵な天職にたどり着くのもこれからの長い人生、いつになるかもわからない。そんな仕事に巡り合えるのを信じて楽しく自分らしく生きていきたいものですね。人生は一度きりしかないんだから。
人より自分が突出した性格上の特性をうまく生かしていけるフィールドを見つけることからまずはじめないと。ちなみに仕事で一番大事にしたい価値観は、今のところ、自分で考えたことを出してそれに対し適切なフィードバックがあることと、成長が見えることかねー。

どんな仕事につきたいか考えることって、必然的に自分がどんな人生を歩みたいかっていう問いとも直結するよね。

私はどんな人生を生きたいかと人に聞かれたら、常に自分と自分の大切な人の幸せを、自分の手で実現してきたと自信をもって言って死ねる人生と答える。
「自分の手で実現してきた」というのは、自分で自分の人生を着実に歩んでいる感覚。なんというかここにおける「自分」って概念って、すごく拡張してるようなイメージ。自分の力で実現したものだけじゃなくて、他人とか社会まで拡張してるようなイメージかな(笑)

人生における「幸せ」って人によって意味付けが違うから、もちろんそれは尊重されるべきだし、その実現が不当な理由によって制限されたらいけないと思うわけ。

ん、何か今書いてて思ったけど、私が社会学をやりたい理由って、やっぱり私自身の人間に対する考えとか、好きな思考プロセスと親和性があるからだし、社会をどう見たら新しい社会像が見えてきて、それが人々の現代における「漠然とした不安」とどうかかわっていて、人々の幸せのより良い実現方向を探っていけるか、ヒントは何かみたいなことを考えるところに自分も関わってきたい、そしてあわよくば自分がそれを考えることとかそこで人とかかわることを通じて、自分自身の成長とか、幸せを得れたら最高だなと思うからっていうのがあるのかもしれないな。
でも、これは方向性としてはいいけど、漠然としすぎてる(笑)
そんな都合よくは進まん気がするし。そこはまたおいおい考えよー。

 

ん~今日は大まじめな回になっちゃった(笑)
自分で自分に言い聞かせるように書いてるところもあるから、ぐちゃっとした文章かもしれんけど(笑)でもたまには、こう自分の考えを書き出して整理するのやってみても楽しいなと思ったのでした(笑)
今日は久々に何もない日でゆっくりかけてよかった。

ではまた!