空’s diary

大学3年生。徒然なるままに。

将来の方向性

私は社会を変えたい、不幸な世を変えたいっていう所に「知」のモチベーションがあるのではなくて、むしろ変化していく社会をどう捉えたら理解しやすくなり、不理解による生きづらさを解消できるのか、ひいては幸せに生きることに繋がるかということに自分の「知」のモチベーションがあって、変化する世の中を気休めではなく「ちゃんと」掴みたいという所が一番。その後に、掴んだものを使って世の中が良くなれば良いなくらいで、最初から世の中を変えたいとは思っていない。掴むこと自体が目的みたいなことまである。でも、社会の中で生きてくとなったら、掴んだことを生かして社会に還元していくことも大事だなと思う。

 

掴みに行く時に、自分は自分のクリティカルシンキングとか、美的感性とか、知的好奇心を使いたい訳で、そこをちゃんと発揮できることが仕事に一番求めることかな。あとは人との交わりも最近はここに入ってくるかなと思ってる。自分自身の経験を肥やすのと世の中掴むのに絶対いるから。

じゃあ、そのクリティカルシンキングと美的感性と知的好奇心が存分に発揮できる完全に理想の環境は、
・自分の欲しい情報を得られる環境

・自分が本気でやることについての知識を得られる環境であること。
・自分の美的感性と知的好奇心を刺激する対象があること←これ大事ね!気づかなかった!
クリティカルシンキングできる落ち着いた自分だけの場所と時間が確保されてること
・自分の知りたい、解き明かしたい対象に関わる人と知り合えること
・自分を将来に向けて深く・広く育てられる場所
・自分のペースでやらせてくれる所

やっぱり私は「考える人」なんだね笑

こう書いてみて、

好奇心が刺激される「対象」が必要ということに初めて気づけた

たしかにそうだよね、仕事とはいえ、やっぱり自分や会社の中に考えるべきものがあらかじめあるのではなくて、外の世界の「おもろい」ものに触れることを通じて、自分の中の好奇心が触発されて自分なりの考察を経た「知」が生まれるわけだもんね。

何を「おもろい」と感じるかは、私の中で常にこれからの人生一定であるとは限らない。

だから、仕事として扱える可能性のある「おもろい」ものや単純に「おもろさ」は、多様である方がいい。

多様言うても、際限なく多様だとキリがない?からある程度は仕事となったらしょうがないかもしれないけど、やっぱ多様な含みのあるものの方がいい。

私は、「何かを作る」というベクトルなら、一人であれこれ考えたいと思う人だし、

「何かを見つめて分析する」というベクトルなら、自分の内部に外のいろんな情報をばーっといれて一つ一つ丁寧に考えるってしたい人だし、自分のペースでやりたいんだよね

 

だから私は、自分の中にあるストックが貯まれば貯まるほど(経験、知見、思考など)、クリティカルシンキングで力を発揮できるタイプだ!大器晩成型だ!

慣れて事情が分かるまでは何も出来ないけど、わかるための努力は継続できるし、全然その時間は苦じゃないし、むしろその過程も楽しい。後々の光が見える瞬間が近づいているのが分かってるから笑  はやく自分が効率的に納得して扱える状態になる所まで持っていけると、あとは自動運転で成長していける。だから、最初の土台を作る段階をゆっくりと見守ってくれるよい「質」の時間が必要。と勉強もバイトもそう。時間が必要なのは知識の獲得だけでなく、人間関係もそう。

それを分かってくれて、ゆっくりでも待っててくれる職がいいな。

初志貫徹なので、周りの都合で頻繁に柔軟にしろと言われるのは嫌い。

でももちろん、正当な理由があるならちゃんと周りの意見も聞く素直さもある。

→研究者、

 

どちらが最終的に自分にとって成功に近づけるかなんて未知数すぎて分からん。世相もあるだろう。でも、最低限思うのは、自分がちゃんと正しい方向で、盲目的にならないように視野を広く取りつつ努力をし、もちろん必要なら自分に足りてないものを補う強い努力もしていけば、何かしらどこかの時点で、自分自身わかることはあるだろうし、何か掴むもの、今後に向けて進む方向が見えてくるんじゃないかと思ってる。人であろうと仕事であろうとものであろうと、なにであるかは知らないが、自分がその時点時点で必要なものを掴み取るための努力と好奇心を継続しつつ、自分の強みを生かしていく方向をあんまり流動的にはしなくても修正しつつ考えていけば、何も得られない人生なんてありようがないと思うんだよね。

 

5.18 追記

私はある理論を深掘りの深掘りのってしたいわけじゃなくて、その理論を使って世の中を見た時に、どう見えて、で、どう良くできるのかを考えたいんだよな。そしてその時理論に欠陥がありそうだったら、そこは実地からの意見という形で、修正したいとは思うんだよね。私はやっぱ、哲学者にはなれない。自分の方に思想の決定権はありたい。私が目指すべきは、哲学的視点からの考察も入れ、対話もし、社会的なものをどうとらえたら、当該現象を多数の視点から見れるか、そして解決できるかということを、自分が能動的に考えて周りと関わって考えたり、対処したりすることを通じて、自分も他人も幸福になりたい。その他人は別に大きくなくてもいい。自分の周りの人達、自分がターゲットにした人達であればいい。
となると、方法論的には複数ありそうだ。
・哲学対話
・計量分析…
もう少し考えてみる。今読んでる本で何か示唆が得られそうな気がするから。

「社会に貢献する」っていっても、

仕事として取り組む対象が、他人側のままやるのか、自分側に取り込んでやるのか。どっちのベクトルが仕事内容として強めなのかはみといて損はない。

私は絶対的に後者なんだなー。前者のはキツい。やっぱ、自分の内発的な所からくる問題意識とか、単なる好奇心に動機を持って来れないとだめなんだよなー。

別に他人側の出来事でも、自分がそれに取り組む自分にとっての「意味づけ」ができれば自分ことになってできるんだけどねー。

結局「自分が仕事をする動機が他人由来だと基本イヤ」

っていうのはある。

仕事だけじゃなくて色んなことも「自分がやりたいからやる、愛したいから愛す、自分の力になるから頑張る、自分の大事な人のためになるならやる」っていうように、、

 

誤解あると嫌だから言っておくけど、「たとえ対象が他人であっても、自分の側に入れ込めてしまえばある程度は」いいんよね。

そうなると、ある程度小さい所がいいのかな。

だもずっとモチベーションの置き所が他人だと、確実に疲れてしまう。自分、自分、ってなるときがくる。

 

私はだからそれをやる「意味づけ」が明確に【できる工夫のある】ところで働きたいし、その職場は「幸福の条件を満たすか」はちゃんと査定したい訳。

 

 

5.25追記

社会学はやっぱり、ある特定の仕方で社会を見ることで、社会像を理解し、自ら問題と思う所を解明し、その問題に対して一石を投じることに特徴がある。

だからそもそも、研究者としてのアイデンティティの確立=どこか特定の立場に立つことを決め、そこに没入することが、社会学を「プロ」として極めている者に見られる特徴だと気づいた。そういう意味での「信念」を貫いてきた人が名を残してきた学問なんだよ。

 

自分は、社会学の中でも、そういった方面で「プロ」になりたいのではないと思った。自分は、多様な価値観を知ったうえで、自分の立場を固辞するのではなく、状況に応じて、そこに存在する問題を考えたり深めるために、「この視点を取った方がいい」というように、「知」を使いたいので、自分の立場としての価値観を固めることは出来ない。これは、どの価値観にも属さずフラフラするという2か月前の私が陥ったきもい状況を言うんじゃなくて笑、自分の人生は自分で編んでいくし、自分の正しいと思う価値観とかは「生活レベル」では重層的に編んでいって、結果結晶させていきたいけど、「社会学者としてレベル」では、固めたくないと思うわけ。そう、そこだね。

自分は、人生は時間的・空間的に非常に振れ幅をもって、大きく経験されるものだと思っているから、そこに明らかに人生を編んでいく一貫した自分はいるのだけれども、自分はあくまで「人生」を編んでいるだけで、「社会学者」の立場から編んでいる訳じゃない。

自分自身と社会学者的自分は明らかに違うわけ。

その理由は、2つ先の記事で私が書いた通り、私自身生きてくる過程で社会に死ぬほど強い問題意識を抱いたことがなかったから、そもそも動機の時点で社会学からはアウトサイダーなわけよ。

 

自分がそのつどその都度問題と感じたことに対して、どう解決策が打てるか、その問題の根本を正しくとらえるにはどんな視点を取ったらいいかと複数視点を比較すること、

「ある現実で起こる特定の出来事・問題」を一つの視点から「解明」することがしたいのではなく、複数の視点を取って得られた新しい視点を用いて「解釈」すること、「納得(解決)」することが、好きなんだ。

そう分かると、自分は「メタ的」な分析が向いているのだろう。その場その場で必要な「複数視点」を柔軟に用いて解釈して、咀嚼して、強みである直感も使って、対象を理解し、扱いやすいものにしたり、問題への適切な解決方法を考えたり……

社会学的な面では私は「メタ視点」の分野で、複数視点を扱う所に関わりたい。

・解釈・咀嚼・価値観の本当の意味での受容と理解のために、広義の哲学を勉強したい。

・物事の根本を捉える直観力を鍛える為に、芸術も含む多様な価値観に触れ(感受性)、抽象から具体、具体から抽象の思考を鍛えるのと、人の根本に関わるストーリー性というものも場数経験して考えたい。

 

現代のように多様化した時代で、「私、~が専門なんです!」って言い切ってしまうの、かなりヤバいことなんじゃないかという気もしてきたよ。うん。
専門分野を「決める」って、きもいから(しそれを求めてくる教授とはおさらばした方がいいよ。)専門分野を「時間とともに編んでいく」っていうことだと思っておきたいけど。まあ一つにいずれ統合せんでも、「広く深く」は、自分得意なタイプだけどね(笑)

社会の中の多様なアクター同士の関係を、(バウマンみたいに流動的だと嘆いて終止したり、意味学派みたいに人はそんなせかいでこそ意味を紡ぐんだと言って終止するのではなく、)常に成長し続ける自分が、一緒に走ることで、理解したり、解いたり、解決したり、時に遊んだりすることが、「世の中を本当に踏みしめていくこと」であり「固有の人間として幸福になること」なんじゃないかな」と思っている。

 

じゃあ具体的に、この自分の本質(だよね(笑))を、「仕事」として社会の中のポジションにフィールドに位置付けていけるかは、これから考えよう。

やっぱり、

・対象のキーワードは、「社会」「自分」「幸福」「より良い生」

・アプローチ方法としては、「メタ分析」「包括的」「直感的」「丁寧な解釈」「対象理解」

・目指す先は、「社会内存在としての個人の幸福」の実現。動機は愛がいい。

 

→これをできる企業・NPOなんてあるんだろうか。これをできる組織って……

(本当にここを検討する段階になったら、ちゃんと基準見て探そう)

自分的には、社会学、哲学、芸術をうまく組み合わせられるようになるには、時間と経験が必要だと思うから、少なくとも、院にはいくべき。2年やってみる。院はどこで何を誰からどのように学べば、将来の自分にとっていいのかはこれから考えないといけないなと思う。

なんか今書いてて思ったけど、こんなにも思考力がある自分、絶対このままいって大丈夫と思う。

 

5.26追記

仮面浪人ならぬ、仮面学科やることになるかもしれん笑

まずは、哲学するをしてみて、本当に自分はその思考が向くのか、学会はどんなんなのかを引き継きみる。のと、哲学するの思考法が、哲学者になる以外の他の領域でもできないのか、調べてみよう。