空’s diary

大学3年生。徒然なるままに。

無タイトル

「信じる」というとき、その対象がビジョンなのか、今現在にあるものなのかによって、意識がガラッと変わるんだろうな。どちらに依拠したいか、か。それは簡単には選べないんじゃないかな。人間は、未来がこうであってほしい、こうありたいというビジョンを正しく抱かなければ生きていけないし、でもその時に今現実に起こっていることを蔑ろにしてはいけないのであって、今をちゃんと見つめてこそ、未来に実現したいものを達成することにつながるんだと思う。
ここ、人間の本質的な部分かもしれないな。未来のためのビジョンを直接探究するのか、今を見つめるのか。
たぶんこれは簡単な二項対立図式としては捉えられなくて、どちらかに偏りすぎると純粋に不都合がおきるんだと思う。
その上で考えると、今を見つめるという時起こりうるのは二つあって、まず一つは、今だけに終始すること、そして二つ目は、あるべき未来を見据えて、今を直視すること。
たぶん、私にとってはこの二つ目の生き方をしてみるのがいいと思う。
今までは、今しか見ていなかったり、未来しか見ていなかったり、極端な思考をしていて、それゆえに色々とあかんくなっていた笑笑
これからは、安易な「今をだけを楽しく」でもなく、今を忘却した「単なる未来志向のみを探究する」のでもなく、ちゃんと今の現実を直視しながらあるべき未来の姿を構想することが大事なんだと思う。
まずは、その姿勢で生きるようにするべきなんだと思う。
こういう姿勢を持ったならば、自分が自分の力を注ぐべき対象を選択する時には未来志向の哲学から学んで思考ををし、選び、選んだ対象のもとでその対象を正確に知り、とらえ(そう、ここでは自分という存在は基本的に"無知"だから、それを分かってちゃんとその場やその場の人々から学ぼうという姿勢をもたないといけない)、その対象の中ではどういったことが起こっていて、それはいかにして起こっているのかを明らかにしたならば、そこから得た学びを、現場をよくするのに活用するべきなんだと思う。このときの"よくするために活用する"というのは、ある程度未来志向で正しいとされるものを根拠にしていいと思うんだよなー。

私にとっては、「バランス」はキーワードになるかもしれないな〜笑
バランスというとき、何にも基準がなくてそのつどグラグラするということを指してるんじゃなくて、むしろ、確固たる

信念「あるべき未来を見据えて(共に目指せる他者がいるなら嬉しい)、今を直視し、理解すること。そして今を基準に、未来の志向を作っていくこと。」

学問に向き合うときは、この姿勢を持つのがいいんじゃないかと今のところ思っている。これは私の経験から導き出したことである。はい。(ちなみに未来の志向は、現実になめして初めて、妥当になると言えると思うよー)

注意しときたいのは、どちら偏重になってもいけないということだな。
まあ、どちらかが偏重になったら私はきっとそれを察知してバランスを整えられるだろう。

ただし、注意しておきたいのは、この姿勢を人生すべてで持ち必要はないのかもしれないということさね。そうするとまたきついかもよ。

 

ただまあ、今は現実偏重になるといいんだと思う。完璧主義はもう捨てよう👋