空’s diary

大学3年生。徒然なるままに。

なぜ戦争には「男」だけが行ったのか?「男らしさ」って?

今回はエッセー的な感じです。

 

戦争には男が行く。女は行かない。

この事実に今まで疑問を持ったことがあっただろうか。
中村江里の『戦争とトラウマ』・吉川弘文館 を読んで、この事実の背景には社会学的な背景があることに気づかされた。

男らしさの構築には、「男でないもの」が必要  という視点

これは、私たちが無意識のうちに行っている区別が思考の背景にあることを暗示している。

 

男と男でないものといった性別に関する「差異」は、人間が生物である以上消し得ない差異である。だからこそ、いろいろな社会現象を考える際に「ジェンダー」という視点からとらえることは、社会現象を多面的に捉えるためには必要なのだと実感した。
ジェンダーのように人が消し得ない「差異」を考慮することは、社会を見るうえでは不可欠であるのだ。

この、「男/男でないもの」が、単なる区別だということで終われば話は単純だが、実際社会の中でこのような両面の概念はある種の価値判断を伴って現れてこざるを得ない。人間というものは、自分が当事者として強く関わる事柄に関しては、主観的で自分にとって都合の良い価値観を主張するものだ。その価値観を持つに至るには、やはり自分の周りの社会から絶大な影響を受けている。

例えば、「男らしさ」が「男でないもの」に対して上であるという戦争期のような社会に生きていれば、「男/男でないもの」という区別は、社会の中では「男>男でないもの」という価値観となって立ち現れ、多くの人々がそれにそって行動し、その価値観は再生産されていく。いわばこの価値観が再生産されている背景には、社会と個人が一体となった円環があるのである。

このように、社会現象を見る際は、対象の「〇/〇」という区別自体と、その区別に付随する価値判断を、区別して考えることが必要なのだと思う。

前者の「区別自体」を捉えるのが、おそらく社会事象の経験的な帰納を行う理論研究にあたり、後者の「区別に付随する価値判断」を分析したり、その既存の価値観によって問題が起こっているならそれを解決するための新たな価値観を提示したりするのが実証研究なのだろう。
そしてこの両者の研究は切り離すことができず、相互が相互の研究では必要なのだろう。

 

社会学って非常に面白いね、やっぱり。
私は実証研究を利用した理論研究がやりたいかな。抽象的なものを感覚的に扱うのは得意だし、何か特定の利害が絡んだ価値判断を作り出すのって大変そうだから、、まだわからないけど。