空’s diary

大学3年生。徒然なるままに。

なぜ大学に行く?

大学に行くことは、何のためか。

大学で何を得られるのか。

今回は、現大学3年生の今の私の意見を綴ってみたい。

2つの軸で書く。一つは「学問」的観点から。もう一つは「人間関係」的観点から。

 

(1)学問的観点から

大学の授業を能動的に受けることの意義は、知識を得ることに重点があるのではなく、それらが提供してくれる思考のためのよい「問い」を、自分の興味に合わせて展開する機会を与えてくれることと私は考える。

私は文系の学部にいるわけだが、大学に行って、文系の学問を勉強する意味って、良い問いに触れられる機会が増えることで、自分の思考を「鍛える」ことができるからというのが一つ。

そして、授業の中で扱われた文献や論文から、類似分野の文献をあたり、より広く、問いに対する他人の意見を知ることができたり、自分が興味ある分野の在野研究者がどんな風にして社会と関わっているのかを知ることができ、自分もそこになんの利害もない状態で、積極的に参与できるという所だと思う。

 

もう一つは、何より大学生は「時間がある」から、じっくりといろんなことに向き合える。

学問で言うならば、一つの問いに対して、複数の方向から深く深く考えることができる。

「時間」は、人間の思考を確実に深めてくれる。思考をすることを通じて、自分への理解も深まる。つまり、外にある事象から生まれてきた問いを、自分事にして自分の内で熟成させることを通して、自分自身の理解につながる。そして自分の中で考えたことをもう一度外に戻し、具体的なアクションの形にすることで、外の世界が変わったりする。そうして得たフィードバックから、もう一度自分の中で熟成して……

永遠ループができてしまう。「時間」があることで。

これって、なかなか貴重なことだと思う。特にいろいろ考えるのが好きな人にとっては、「天国」である。何にも邪魔されず、好きなだけ自分の好奇心の赴くままに問いをいろんな方向に深めていくことができるなんて。

あと最近本当に思うが、地方の大学に通っていても、SNSの普及で、情報的にはほぼ格差はないということ。格差があるとしたら、直接経験と周りの人の質くらい。でも今やオンラインで後者は補完できてしまうし、前者も探せば意外とあるんだよね。 大学というハコに縛られない時代がきたかと感じる。

 

(2)人間関係的観点

色んな人間関係に触れられることで、自分という狭く限られた思考媒体に対して、他の視点からの考えに触れることができるようになる。それによって、開放的・批判的に目の前で起こる出来事を捉える訓練をすることができるようになる。

多様な人の考え方を「受け入れられる」ようになることに加えて、多様な人の考えを受け入れた上で自分はどう思考するのか訓練すること、そしてチームのためにどう具体的に行動したらいいのかを考えられるようになる訓練すること、が大学でいろんな人とかかわることのメリットではないかと思う。それは、社会に出てから確実に役に立つスキルであり、人生を実り多く多彩に生きていくためにも、必要なこと。

 

今日はまあとりあえずこんなところで。

またこのテーマで考えることがあったら、またおいおい足していこうと思います~