空’s diary

大学3年生。徒然なるままに。

適応に気付き、覚悟に至るまで、そしてこれから

Superflyが暑苦しく感じなくなったら、それは愛に目覚めていい状態の時。でも、平静でぽかんとしてる感じ。でもそこには本当の意味でのしなやかな強さがある時なんだ。どっちかと言えばポジティブな感じ。薄い黄緑いろの地平が広がっているような感覚。ああ、これだ。私がやりたいことって。

心が解放されてく感じ。この今の自分の状態が好きだ。心に何の重みもないのだけれど、でもからっとしているわけでもない。この、白なんだけど純白じゃなくてオフホワイトで綿の手触りの優しい更紗みたいな。私の名前だ。正に。この今の状態は、この状態単体で肯定されるもので。

一緒にいたい、一緒に間違い、一緒に嘆き、って暑苦しいことじゃないよ。
それが人間関係なんだろうな。フラットな砂漠なんて嫌だ。もう十分、私はそろそろ愛に生きる。なんか懐かしい感覚だ。心の扉を開けておくことって、覚悟なんだなって思う。自分を開いておくことは怖くないよ。回避はもうやめる

傷ついたっていいじゃない。そんなのを恐れて貴重な人間関係を失いたくない。もっと得たい。もっともっと愛したい。
初めては怖い。今までずっと閉じてきたんだから。でも人に対して開くことは怖いことじゃない。そこに自分の人生を引き受ける覚悟があるなら。本当の意味での「自立」って、

人間関係から学んだ事を糧に、自分自身の人生に常に愛を持つ事、自分に関わる人に愛を持つ事。何かを得るためには何かをしてるってことじゃない。
そしてその背景には自分を開いておくことを恐れない、自分の人生を紡ぎ紡がれる「覚悟」がある。

本気で愛す人を見つけたいな

自分を開くって何にどうやってってことだけど、これは今までやってこなかった事だから難しいね。
具体的にどう開いていけばいいんだろうか。あまりスキル的はことは入れない方がいいのだろうか。
どうしたらいいのだろう。まず何かから始めて、徐々に慣れる事から始めるとこから。どこからどんな気持ち

ああ、急に世界に色が戻ってきた。
足取りは少し自身なさげにくらくらするけど、でも何か迷う事はもうないような、なんか芯があるかといわれたらぼんやりふきのとうみたいに透けてはいるけどでもなんか水を受けて鈍くでもなめらかに光るようなそんな感覚

きっと彼は、ここにきてやっと素を出してくれたって思うんだろうな。
私自身も素直になれる。いろんなコミュニケーションの技術も、全ては私の上になるものなんだから、私がからで砂漠を歩いている時に、いくら見栄を張ったって、武装したって、周りとうまくやれる方法を学んだところで、根本で人に自分の中に入られる事を認めてないんだったら、全く意味がない事じゃん。
例えるならあれよ、砂漠を歩いてるのに、重装備を身につけて、一人で疲れて苦しくなっているのと同じよ。
これからは、自分の位置を森にそこで生きたい。そこは感情が渦巻く世界かもしれない。今まで避けてきたものに溢れてる

世界かもしれない。でも、そっちの方がいい。私は元々そっちの世界で輝きたい輝ける住人。自分がそっちに行けたなら、あとは周りとうまくやる術をまさにそこで試せばいい。

まずは砂漠から森へ回帰する所へ。もう砂漠に戻りたくないと思えるように。そうするために自分の人生は自分で引き受ける覚悟を。

もちろんその覚悟は、何かにくっつくものでもないけど、間違いなく自分自身の足取りから学んできてそうしたいと内から自然とでたもの。これは変わらないかな。変わりそうになったらちゃんと一旦止まって、そうじゃないだろ。戻るのは簡単だけど、森に行きたくないか?一度しかない人生、

心豊かに生きていこう、その豊かな中で、自分をおいて、何かしようって思いたいから。
今の心境は非常に落ち着いてる。肝が据わっているというのは、本当はこう言う事なんだ。

もちろん、今まで自分が回避してきたことで誤解されてきてる部分はあって、周りからも変な奴、関わらない方がいいやつと思われてるだろうなっていう環境はある。自分が第二の誕生をして変わっても、向こうは変わらないかもしれない。一旦私に抱いた不信感は消えないものだ。人間だもの。
でも、私はそれも引き受ける。引き受けて、過去の自分が見せてきた姿やマインド、会話すら、引き受ける。
そして自分の中で反芻しつつ

森へと入って水際に触れたい。少しずつだ。それが過去と今それからを繋いでいくこと。引き受けること。夏の暑い中、すごくキンキンに冷えた水のようなみずみずしさで世界をみること。自分はその世界の冒険者になること。主観的に生きること。

でもそれとは別に、この新しい自分を森の中の自分を一から試してもみたい。新しい環境にも入りたい。それは何か利害をもってではなく。