空’s diary

大学3年生。徒然なるままに。

変わった経緯

部活の同期と春休みにたくさん遊び、どうやら人との繋がりって私にとって安心できる場所になるんだな、社会学でも言うけどコミュニティとか、人との温かい繋がりってもしかして人にとってエッセンシャルなのかもしれないと悟る。

ファミマのバイトで、気を使わなくていいよと千葉さんに言ってもらい、ああそうなんだ、気を使いすぎてしまう自分はやりづらいんだと悟った。肩の力が少し抜けた。自分はもっと感情に正直に人と接しよう、そっちの方が向こうもやりやすいと気づく。

社会学は自分自身が価値を持ってはいけないのでない。あくまで研究は自分の価値からくる情熱がいると学ぶ。これは最強の意識の転換だった。

哲学の授業で、反利己主義としての思いやりと自己愛からの思いやりという概念を知る。私が従ってたのは、反利己主義としての思いやりだったのかもな、と悟る。自己愛の拡張として人と接したいと思う。

なんとなく私が今までの方向とは違う方向に進みたいことを実感する。じゃあ今までの苦しみは何だったのか。それは、つらい現実に「適応」していたんだと気づく。

そしてこれからはかつてのその「適応」とは違う方向に「適応」したいと望んでいることが分かった。

でも自己愛と利己主義との違いがよく分からなくなり、塞いでしまう。

 

そんな時、彼との別れが現実として浮上してきた。自分は最も親密な関係であるはずの恋人関係で、いったい彼とどう接してきたかを振り返った。そして彼を鏡に自分自身について見つめ直した。そうしたら気づいてしまった。

私には、彼の全てを本当の意味で受け入れられていない。私自身もさらけ出していない。

そこで自分の中で何かが崩れた。いや、崩さざるを得なかった。自分に足りていなかったのは「覚悟」だと。自分の人生も、人の人生も引き受ける「覚悟」がなかったと。

いや、持ちようがなかったと。今までの私だと。私は人との関係を、そしてなんと自分自身をも、回避してたんだと気づく。

だから、空回りしてたんだ。自分が生きづらかったのはその部分を理解していなかったからなんだと。でも、その生きづらさの理由を自分の中で外に求めて、自分自身は悪くないのだ、自分はあくまで中立を貫けばいいんだ、それが一貫しているということであり、それが自分で立つことなんだなんて勘違いしていた。感情も消えていた。今思ういわば人としての感情を消そうとしていた。自分の感情もよくわからず、でもそれに問題意識を持つこともなくそれでいいとしていた。だから、人に曝け出すこともできず、人に話す自分もなく、頼ることも、人のパーソナリティを本当の意味で受け入れ興味を持つことができていなかった。

でも、今ならわかる。それは違うんだと そう言うことではないんだと。

彼に対して今からみたら全く誠実に向き合っていなかったことへの後悔と心からの申し訳なさ、そして自分自身の感情を殺して世の中を勝手に憂えて、自分に全く素直になれていなかったことへの絶望と気づけたことへの心からの喜び。気づかせてくれた彼に感謝するとともに、こんな私に付き合わせてしまったことへの申し訳なさ。こんな感情が真に迫ってきて、どうやら私は、、と悟ったことがあった。

それと同時に、私の母が私に対して持ち続けているのが「覚悟」なんだなと、本当に実感できた。人はへ覚悟と愛をもてることそれは、自分に対する覚悟と愛でもあるんだと思った。

そ私も「覚悟」持ちたいと思うのではなく、もうここまで悟ったら持つしかないと、いや持ちますと思った。持たせてください、と。

そしてダイゴの放送を見てて、回避型は人生な損している。人間関係から学べ。今すぐ回避をやめろ。人生を砂漠で生きることに何の喜びがあるんだ、森の中で山登りをしよう。いつかてっぺんの幸福を見ることができるかもしれない、でもある時は谷のどん底かもしれない。でもいいじゃない。それが人生だというのを聞いて、ああ、そうだね、私も「生き」たいと思った。

だから自分自身と他人との向き合い方を回帰させることをはじめる。

砂漠から森へ。

大丈夫。私ならできる。だって自分の人生を引き受ける「覚悟」を持てたんだから。愛を知ったんだから。

焦らなくていい。少しずつ少しずつ。